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2010年12月20日月曜日

年末の片づけ

先日、NHKで「断捨離」についての番組を見た。
ほんと、この言葉は最近のはやりのようだ。

今年もそろそろ大掃除の 季節だが、1DKの部屋で
本格的にやるのはキッチンまわりくらいで、
たいしたことはない。
2時間もあれば十分である。

問題なのは掃除よりも 整理。まさに「断捨離」の世界。
私の場合、とにかくやたら多いのが「紙」。

いつの間にか溜まる、書類や、本、資料 のもろもろが、いつも悩みの種。

今年になってから、三か月に一回の割合で、
整理して、捨てているしので 、
あんまり溜まってないと思っていたのだか、
どうして、どうして、まだまだまだあるある。

土曜日に、その紙達と一日格闘したが終わらない。
毎回かなり捨ててきたつもりだったのに。
全然、「断捨離」できてないことがよくわかった。
 
見て、チェックして、ファイルして…。
あと一日はかかるな…この調子じゃ…。

2010年11月26日金曜日

消えたお菓子

例のお菓子を買いに、再びローソンに行ったら、
別のお菓子が置いてあった。

この間はちょうど入れ替え時だったのね。
(初めて見たもの。棚ひとつ空になってるコンビニ。)

置いてあったメーカーのお菓子は、前からあるもので、食べたこともあるが、
値段も高いし、あんまり好みじゃないので、すごく残念。

他のドラッグストアやら、スーパーでもまったく見かけないので、
新製品として出したが、あんまり売れなかったので、そうそうに撤退したのかな。
生存競争にやぶれたってわけだ。

今となってはどこのメーカーかも分からないし、幻のお菓子になってしまった。

2010年11月25日木曜日

照明について

最近、マンションの照明の取り付け工事があり、
エントランスと入口が新しくなった。

たかが照明というなかれ。

すごく感じよくなって、びっくり!

明るく、おしゃれになった。
 照明でこんなに変わるとは思わなかった。

インテリアの本なんかにも、照明のこと はよくかいてあるが、
 実際の部屋では、そこまで気を使ったことがなかった。

それで、あんまり、体感したことなかったけど、
こんなに変わるなら、自分の部屋にも試してみたくなるというもの。

今、街 はイルミネーションで美しく飾られている。
いろんな観光地の史跡もほとんどライトアップ されている。
冷たい空気のなかで、光はさらに輝くように思える。
冬ってホント明かりの美しさに魅せられる季節だな~。

2010年11月17日水曜日

坂口恭平の新刊本

今読んでみたい本は毎日新聞で養老孟司先生が評していた
『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』 坂口恭平・著
である。

自分の生活スタイルを、都市のサバイバル生活者であると認識していたので、
このタイトルを読んだ時はちょっとびっくり。

私は今でもかなりサバイバーな生活を送っているが、
幸いにして、いまだホームレス生活とは無縁である。

が、ひょっとしたらホームレス生活こそが自分のめざす、
(あくまでも、極端な理想としてのお話デス。)
究極のミニマムな暮らしなのではという疑いが日々頭をもたげてくる今日この頃。
その答えをこの本が与えてくれるのではないかとの予感がする。

今の時代を覆う、絶望感とはちょうと違う、なにか必死な感じ。
一人ひとりが、なにか見えない敵と常に戦っている感じ。
これをなんと表現したらいいのか。
そんな今を生きる生活者が真に求める、新たな哲学への渇望があり、
この本はその答えの一つになるのではないか?と期待している。


もちろん、本は買わずに立ち読みします。
だって、私こそ”都市型狩猟採集生活”者だもんね。

2010年11月15日月曜日

書類を捨てる

片づけられない母の娘だけあって、掃除は苦手だ。
多分人の5倍か10倍のエネルギーを使わないとできない。

土曜やっと前の仕事の不要書類一式かたずけた。

最近「個人情報保護法」とやらがかしましく、
こういう書類もうっかり捨てられない。

全部シュレッダーして、捨てるのに一時間強。
なんか無駄な時間である。

昔なら5分で終わったろうに。



とにかく紙類はちゃんと捨てようとすると
えらく時間とエネルギーがいる。

掃除が嫌いなのは、やってもやっても終わりがなく、
ほっとくと、収集がつかなくなり
もともとやる気に乏しい私は、ますますやる気を失い、
さらに自己嫌悪とストレスで、さらにさらに、
やる気を失うという悪循環。

いつもきれいにしている人って、とにかく
毎日ちょこちょこ、まめに動いてきれいをキープしている。

このまめさが私に一番足りないものかも。

2010年11月11日木曜日

チョイ旅のススメ

旅は大好きだ。

ホントはちゃんとした、旅行らしい旅行より、
バックパッカー的な放浪の旅ほうが好きだ。
(野宿にも憧れる。が実際にはつらいだろうな。)

行く先も目的もなく時間も決めず、なんとなく歩きながら、
感じるものを感じるという旅。

しかし現実には経済的、時間的 セキュリティー面の制約があり、
そんな旅はなかなかできない。

それでも仕事や帰省の度に
少し足を伸ばしていろんなところを回るのはすごく楽しい。
仕事や何かの用事のついでに、ちょっと足を伸ばすと、
その街のいろんな姿が独自の匂いとともに立ち上ってきて、
風景や人々の暮らしに出会う経験は何ものにも代えがたい。

そこの歴史を前もって調べるていくと、その街の姿が重層的に立ち上がってきて、
そこにいろんな妄想的イメージや物語を勝手に膨らませるのも一興。

旅先で必ず訪れるのは、まず美術館。そして博物館。
あと商店街も面白い。その土地独自の食べ物や文化を味わう。
あと路地裏。そこに生きる人々の息使いを感じる。
犬や猫の表情ももやっぱり、街によって違うようにも思う。

旅行というより出かけた先を散歩のついでにふらりふらりと歩き、
気に入ったものや面白いもの、なにか心にひっかかるものを
徒然に書いてみるのも面白いかなと思う。

2010年11月10日水曜日

機能性お菓子を求めて

お菓子大好き!である。

日本に生まれてよかったなと思うのは安いお菓子が大変美味しいこと。

海外に行ったことのある人なら、絶対感じたと思うが、美味しいお菓子は
その国ごと沢山あるけど、たいていは高く、
庶民が気軽に食べられる、袋入りのお菓子は味がガサツだ。

たま~に、絶対に毒だと思われるほどの謎の味がする時があるし。

日本に帰ってきて、袋入りのチョコやスナック菓子をぽりぽり食べると、
しみじみと美味しいと思う。
(あとカップラーメンも。)

日本人の繊細さや味に対するこだわりが、ここにこそ表れていると大げさに考察するほど。


で、体に悪いとはわかっているが、お菓子はやめられない。

やめようとすると、その反動で逆によけい食べてしまう。

それで、最近はあまり考えず、一日100円という目安で、唯一の快楽として食べている。

それでも重い貧血や、ダイエットのこともあり、少しでも体によい
お菓子はないかなとさがしていたらちょうど良い具合のお菓子を見つけた。

機能性お菓子というジャンル(カロリーメイトとかキシリガムとか
お菓子に体に有効な成分をプラスしたお菓子のことを最近ではこう呼ぶらしい。)
のなかでも、お菓子度が高く、価格も2個で120円と手ごろ。
一日で必要な鉄分やビタミンB群もとれるという、
メープル味のクッキータイプ!のお菓子に出会った。

まさしくストライクゾーンのお菓子なのであった。

これから、コンビニで買うお菓子は絶対決まりだと、
今日も、ローソンに買いにいったら、なぜか棚に一個もない!!!!!!

ものすごくショック!!

先週は棚の二列目にいっぱい置いてあったのに~。

だいたい、コンビニで品切れってあるの?
あんまり、がっかりしたので、思わず書いちゃいました。

2010年11月9日火曜日

「断捨離」ってなんだ

ミニマムな暮らし方に関する本やブログをよく目にするようになった。
自分自身の魂の声(大げさだなあ…)
に照らすと、多分一番理想のライフスタイルなんだと思う。

子供の頃、日本は高度成長期のまっただなかで、
父母から、「早く、高く、多く、」もっともっととせかされて育ち、
青年期はバブルのまっただ中で、セレクトする「モノ」を競い、
今は過去の遺物(人には単なるゴミ)を持て余している現状。

幼い頃の夢は(小学生の低学年)は
・一人暮らし
・放浪
・山で暮らす
というもので、もちろん誰にも(特に母には)理解してもらえなかった。

その頃はまって読んだ本といえば、
「ロビンソン・クルーソー」
「家なき少女」…テレビアニメ「ペリーヌ物語」の原作
「十五少年漂流記」
「愛の妖精」…ジョルジュ・サンド作。
森で暮らす魔女のような女の子が出で来る。
その子に心底憧れた。

理想は山のオンジ(アルプスの少女ハイジの)暮らし。


10歳までに確立されたアイデンティティがその人の本質だという話を
聞いたことがあるが、小さな女の子にしては変な夢だが、
夢中になって読んだ本から考えると、私の本質はそういうものなんだろ。。

ミニマムな暮らし対する根源的な欲求と、それを十分に
実現できない現実が、ここ最近の疲労感の原因なのかな。

同時に近頃目につく「断捨離」(だんしゃり)という言葉。
これはミニマムな暮らしのバックボーン宗教的ともいえる概念。

「断」入ってくるいらない物を断つ
「捨」ガラクタを捨てる
「離」物への執着心から離れて「自在」の空間へうつる
というもの。

片づけにヨガの精神性をとりいれて、
というか、整理整頓する方法を仏教の言葉で上手に本の書名にしたもので、
ヨガの中でプラティヤハラという段階があるが心の執着をとるために
断捨離が必要なものということらしい。

「anan」でも特集されたらしいから悩んでいる人多いんでしょうね。

捨てるって、ホント知力体力気力いるなあ、特に私には。

2010年11月8日月曜日

心理学と茶道の本

先週は図書館にいけなくて、読む本ないなとおもっていたら、
実家に母が買った茶道の本のなかに
面白そうな本があったので読んでみた。

タイトルは
「茶道心講 茶道を深める」

作者は
岡本浩一

単なるハウツーものではないようで、
写真ページもしぶいし、
タイトル帯のコピーががそそられる。
「心理学者、茶道を語る」とかなんとか…。


プロフィールをみると岡本浩一氏は社会心理学者で、
日本では初めての「リスク心理学」が専門とのこと。
そういえば、何冊がビジネス書のたぐいでチラ読みしたが覚えのある人だ。

薄い本だし、茶道の雑誌に連載されたコラムに書き足して
まとめたものなので、シーツの洗濯やふとん干しをしながら、
2時間弱で読み終わった。

元がコラムなので、軽く書いてあるし読みにくくはないが、
内容が深いので、読み飛ばすのには、惜しい本という感じ。

一番、面白く思ったのは、
利休とキリスト教の思想的なかかわりについて。

たとえば、茶室に入室するのには、「ニジリ口」という
狭い入口から腰をかがめて入るのだが、
それは聖書の「狭き門より入れ」を体現させたものであるとか、
ふくさ捌きはカトリックのミサの礼式の影響をうけているとか。

ちょっと、目からうろこで非常に面白かった。

2010年10月27日水曜日

「わが友マキアヴェッリ」の本

昨日でやっと塩野七海さんの本を読み終えた。
「わが友マキアヴェッリ」の文庫本のである。

ルネッサンス期を生きた、仕事中毒の官僚、。
マキアヴェッリ君が政変に巻き込まれて失脚し、そのあと田舎に引っ込んで
失意のなか、苦しみながら自分も思いを込めて書いた数々の名作を世に送りだす。

マキアヴェッリといえば、陰謀大好きのくらい奴みたいな
イメージだったのが正反対だったのが面白かった。
彼は超有名な「君主論」を始め、
多々の名著をものにした人だけど、その他に
戯曲(それもちょっとエッチでばかばかしいコメディ)も書いていたのも知らなかった。
特にプライベートな手紙は面白くて、同僚に送った手紙なんか、
みんなで回し読みしていたらしい。(確かに今よんでもおちゃめ!)

もし現代にマキャベリが生きていたら、超人気ブロガーになったに違いない。

時は華麗なるルネッサンス、登場人物も豪華、でほんとに本を読む楽しみを
味あわせいただいた。

私がそれにもまして気になったのは解説の佐藤優氏。

あんまり時事ネタには詳しくないので、この人のことを知らなかった。
(そういえば、こんなことあったよな~。って程度)

しかしとても気になる人なので、今度はこの人の本をよんでみようかな。
めちゃめちゃやばい感じだけど。

片づけられない母について

実家の片づけ…それは私が思っているよりも大きな問題を含んでいるようだ。

母は共働きで忙しく掃除の時間がとれないと言うので、
私が家を出てからも、週末は家事をするために戻って来ることを望んだ。
そのことは、私自身にとってかなりイヤなことだったが、
「娘が家のことするのは当たり前だ」と。

母が退職し、これで私も実家から解放されると思いきや、本当に大変だったのはそれからだった。
だれしも、忙しく働く母親(それも非協力的な夫と三人の子供を抱えた)に
完璧な家事を期待しない。が、退職し、一主婦となり、子供も独立して、
介護状態の祖父母もいない、家が片づかないとしたら…。

母は前にもまして、私を呼び出すようになった。

私は、家に帰る度になぜこんなに散らかるか、まったく理解できないまま、
粛々と掃除をしていた。
母はいろんな言い訳をしていた。すべて父のせいだと。
しかし、実際に掃除する私からしたら、父は散らかすのは散らかすが、
それは掃除するという習慣があまりない、ごく普通の昔の男の散らかしであって、
だいだい1~2時間も掃除すれば元の状態に戻った。

しかし、母の場合は違う。まず台所は、流しはきれいにしてあるが、冷蔵庫の中は、
いつもいっぱい、賞味期限切れのものなどはかわいいほうで、傷んだ野菜の上に
買って着たままのポリ袋の状態で平気で積み重ねてある。
その状態が台所の床や腰高のカウンターの上まで続いている。
これを仕分けて、整理し、ほこりをとり、きれいに並べると、
台所で半日はたっぷりかかる。

そして、掃除してきれいになったものの、その状態はもって一カ月。

リビングも母の部屋もそう。
それは次第に勢力をのばし、今は主のいない子供部屋や客間まで浸食してきた。

そのことで、父と母と私の間で口げんかが絶えない状態になり、
片づけても片づけも片づけてもまた一ヶ月後にはカオスと化す家に、
私は疲れきってしまった。

私は収納のハウツー本や情報を集めて、自分のできるかぎりのことをしたが、
ある日はた、と気がついた。

を母はきれいに暮らしたいと口癖のように言うが、ほんとの望みは別で、
その気持ちを、真の母を理解できない私がいるのではないかと。

講座生のみなさんのブログです

2010年10月26日火曜日

片づけられない女

「片づけられない」
これは私の人生に深く関わってきた重大なテーマである。

私の両親は共働きで、おまけに父は昭和一ケタ生まれの亭主関白。
家のことは妻におまかせ。
母は「忙しい」が口癖で、それでも、一所懸命に三人も子供を育ててくれた。
お料理が好きだったので、遠足の時には早起きして、お弁当に海苔巻を作ってくれた。
小さいころは手作りの洋服なんかも着せてもらった。
が、部屋はいつも散らかっていた。
母は「今は手が回らないけど、退職したら、キチンと掃除した、
きれいな家にきれいに住みたい。」と常々もらしていた。
私達家族のみんなもそんな暮らしができる日を夢見ていた。

が、それはついに夢に終わった。
母は退職し、家を新しく建て、子供達は皆、独立したにもかかわらず。

実家で人が集まることがあるたびに(法事、里帰り、盆暮れ正月等々)
その度に、(大体2~3カ月に一度の割合になる)
私はよびもどされ、ほぼ一カ月の休みをすべて返上して、家を掃除していた。
その状態がおかしいのではと思い始めたのはここ何年かである。

母は言い訳する。
「お父さんが散らかす」
「○○○があって忙しかった。」
「もらったから捨てられない。」

そして私が休日返上して、朝から晩まで掃除してやっときれいになった家も
2週間もすると、また前の状態に戻るのである。
イメージとしては、近頃よくテレビでもみる、ゴミ部屋の80%割り引いた感じ。
自分自身ならまだしも、親、特に母親がこんなだと娘はつらい。
母が掃除できないのは、ADHDが原因かも?と疑っている今日この頃である。

「片づけられない」悩みもつ人は多いと思う。
世の中には、そんな人々を救済すべく、ハウツー本や、収納のノウハウがあふれている。
しかし母のような、なにか決定的な欠陥があるとしか思えない人の場合の、
有効な手段があれば、ぜひ教えて欲しい。
私の平和な休日のためにも。

2010年10月21日木曜日

片づけできない母を知った日

リフォーム関連の本やテレビ番組をよく見る。それは片付いた部屋で暮らしたいからだ。
理想は図書館のような部屋。
すっきりと、収まるべきところに収まって、大好きなものだけある。
飾りや装飾はなくシンプルに暮らせる場所。

昔、ある人に「部屋はその人自身を映す鏡」と言われたことがある。
ホントにそうで、自分自身の精神状態をあからさまに表すのが自分の部屋である。
気持ちが荒れていると、部屋もあれ、毎日気持ちよく、充実していると、部屋もきれいだ

私の場合、自分の理想の部屋までの道のりは長かった。
まず独立して家を出るするまでは、母の言いなりの生活しかできなかった。
自分の好みの家具やインテリアはいっさい認められなかった。
やっと家を出た後にも、学生の頃はお金がなく、とても優雅な一人暮らしはできない。
就職して、少し生活に余裕が出来た頃、私は重大な発見をした。

片づけが出来ないのである。ものがすぐに溢れてしまうのである。
その頃、一日15時間くらい仕事していたので、掃除する気持ちの余裕も時間もなかった。
あんまりひどい状態の私を見かねて、友人が掃除にきてくれた。
それでまたびっくりした。友人はなんと、最初に不要なモノを
どんどん捨て始めたのである。

そして、部屋はみるみるきれいになった。

「そうか、すてればよかったんだね。」と私。
「!!!。今までどうしていたの?」
「収納家具を買って、入れていた。」
「!!!!!。それじゃ、収納家具の分だけ部屋がせまくなるし、
よけい散らかるでしょ。」
「だって母がそうしてたから…」

そう、それが母が「片づけられない女」なんじゃないかと思った瞬間だった。

2010年10月20日水曜日

藤沢周平先生にはまってます。

秋の夜長に読書なんて、あんまり定番すぎて面白くもないのだけど、
やっぱり、読書はいいです。

ここ5年間くらい、本は買わずにもっぱら図書館。
土日で10冊借りて、一週間で読む、というぺース。
自宅から近い図書館にいくんですが、そんなに大きな図書館ではないけど
それでも読みつくせるものでありません。(あたりまえですが)

おもに国内外の歴史小説を中心に読んでいます。
今はまっているのは、藤沢周平先生。
学生のころから江戸時代が好きで、かなり乱読はしてたつもりなんですが、
藤沢先生は、全然読んだことなくて、映画(キムタクとかの)原作者のイメージ
くらいしかなかったんですが、
ある人から借りた一冊がきっかけで開眼してしまいました。

藤沢先生の魅力は、もちろん一冊の本のクオリティの高さは
言うまでもないんですが、超多作な方だということ。
読んでも読んでも全作品読み終えないんじゃないかと思えるのがスゴイ。
それとシリーズ作品が多いのもうれしい。
大好きな登場人物達に、ずっと会い続けられるのは、愛読者にとってなによりだから。

同じように魅力を感じている人も大変多いからでしょうか、
藤沢ワールド関連の本(かなりマニアックな感じの)だけでも膨大な数にのぼり、
またそれも読むのもこれからの楽しみのひとつです。

しかし、あんまり作品が多いので、前読んだ本かどうかを忘れてしまい
同じ本を二度三度借りてきてしまうことがあります。

今、ブログ作成の授業受けているので、この機会に読書日記およびリスト等作って、
読みっぱなしにせず、「読書」というものをなにか形に残したいなと思っています。

さて、今日はを読もうかな。

2010年10月19日火曜日

片づけられない女

「片づけられない」
これは私の人生に深く関わってきた重大なテーマである。

私の両親は共働きで、おまけに父は昭和一ケタ生まれの亭主関白。
家のことは妻におまかせ。
母は「忙しい」が口癖で、それでも、一所懸命に三人も子供を育ててくれた。
お料理が好きだったので、遠足の時には早起きして、お弁当に海苔巻を作ってくれた。
小さいころは手作りの洋服なんかも着せてもらった。
が、部屋はいつも散らかっていた。
母は「今は手が回らないけど、退職したら、キチンと掃除した、
きれいな家にきれいに住みたい。」と常々もらしていた。
私達家族のみんなもそんな暮らしができる日を夢見ていた。

が、それはついに夢に終わった。
母は退職し、家を新しく建て、子供達は皆、独立したにもかかわらず。

実家で人が集まることがあるたびに(法事、里帰り、盆暮れ正月等々)
その度に、(大体2~3カ月に一度の割合になる)
私はよびもどされ、ほぼ一カ月の休みをすべて返上して、家を掃除していた。
その状態がおかしいのではと思い始めたのはここ何年かである。

母は言い訳する。
「お父さんが散らかす」
「○○○があって忙しかった。」
「もらったから捨てられない。」

そして私が休日返上して、朝から晩まで掃除してやっときれいになった家も
2週間もすると、また前の状態に戻るのである。
イメージとしては、近頃よくテレビでもみる、ゴミ部屋の80%割り引いた感じ。
自分自身ならまだしも、親、特に母親がこんなだと娘はつらい。
母が掃除できないのは、ADHDが原因かも?と疑っている今日この頃である。

「片づけられない」悩みもつ人は多いと思う。
世の中には、そんな人々を救済すべく、ハウツー本や、収納のノウハウがあふれている。
しかし母のような、なにか決定的な欠陥があるとしか思えない人の場合の、
有効な手段があれば、ぜひ教えて欲しい。
私の平和な休日のためにも。

2010年10月18日月曜日

本に淫して

web作成講座が始まって 早一週間。
とにかく デジタル嫌いの超アナログ人間なので、とってもつらい。
数字も英文字も3文字以上並ぶと、なにかの呪文か、いや呪いにしか思えない。

それで、このストレスを発散させる方法としてやはり読書でしょう。
とにかく無味感想な記号の羅列から解放され、秋の夜長に言葉によるシンフォニーに身をゆだねる快感。
ドライアイに近視、さらに最近は老眼?の三重苦にもめげず、本に淫する日々。

だいたい平日で一日一冊、休日は2冊~のペースで読んでます。
どんな本を読んでいるかというと…
だいぶ前からなのですが、歴史小説がマイブームなのでそのたぐいを乱読しおりました。
それで最近はまって読みだしたのが、藤沢周平先生です。
なんで今頃?とつっこまれそうですが、とにかく癒されるんです。

なんなんでしょうね。本を読んでいる間は、まったく藤沢ワールドにつかりきり
登場人物とともに泣き笑いし、その世界から、たくさんの勇気や愛をもらって現世に帰って来る感じです。
まず、文章がうまい。人物描写がすごく深い。なんといっても人間に対する深い愛がある。

それと私にはわかりませんが、非常に歴史的背景の洞察鋭い(いろいな評論家や作家さんいわく)ので
たしかな世界観に安心して、その世界にただよえます。
剣豪小説ってなんとなく「おっさん」ぽいイメージだったんですが、FUZUSAWAワールドの
とても繊細な心理描写、情景描写はもはや極上の恋愛小説。

秋の夜長に美酒に酔うがごとく、日々漂っています。